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前田喜四雄

 前田喜四雄氏は,1963年に北海道大学に入学,翌1964年から60年以上にわたり日本哺乳類学会の会員として活動を続けてきた.北海道大学では,多くの哺乳類研究者を輩出したことで知られる農業生物学科応用動物学研究室に所属し,1967年に卒業論文として,北海道大学植物園と北大構内を研究フィールドとした「ニホンヤマコウモリ,Nyctalus lasiopterus aviator Thomasとモモジロコウモリ,Myotis macrodactylus Temminckの成長と繁殖習性」をまとめた.このうちヤマコウモリについては1973年に哺乳類科学27号に「日本の哺乳類(II)翼手目ヤマコウモリ属」論文として発表した.ヤマコウモリの出巣個体数の変化,気温との関係,ねぐら間の移動,胃内容物の精査,摂餌量の算出,幼獣の成長,天敵など多岐にわたる項目を明らかにしたもので,1種のコウモリの生態を深く掘り下げて研究したものである.修士論文では,コウモリ類の外部形態に関する地理的変異について網羅的な調査を行った.地道な記載的・網羅的・学際的な研究は,その後の哺乳類学の発展に大いに貢献した.また,大学院生として応用動物学研究室に所属した1970年には,中心メンバーの一人として,北海道大学ヒグマ研究グループ(北大クマ研)を立ち上げた.その動機として,機関紙ヒグマ通信創刊号には「多大な関心を持たれながら調査研究ほとんどなされていないヒグマについて,明確な研究姿勢とその成果を公にすることでヒグマ研究の起爆剤としたい」と記されている.この精神はその後の前田氏のコウモリ研究への姿勢にそのまま繋がったと考えられる.北大クマ研は,創立メンバーの願い通り,のちのヒグマ研究の起爆剤となり,多くのヒグマ研究者や多分野の研究者を輩出し,その多くが現在の哺乳類学会を支える研究者となっている.

 1972年より岐阜歯科大学(現朝日大学)解剖学研究室に就職してからは,コウモリ類の形態,歯の発生,分類学に関する研究成果を数多く公表した.1974年~75年にはフランス政府給費留学生として,パリ国立自然史博物館動物学研究室(哺乳類・鳥類)でコウモリ類の研究に従事した.特に,ユビナガコウモリ属に着目し,分類形質の地理的変異および性差を調べ,ある種では頭骨全長と乳様突起間幅および前者と脳函幅の比を除いた全形質に顕著な地理的変異がみられること,また頭骨形質および下腿長は雄が雌より大きいことを明らかにした.この成果は後に学位論文として,哺乳類科学の別冊と複数の論文として公表され,2000年代以降に大幅に見直されるユビナガコウモリの分類の礎となった.1980年代以降は,海外ではボルネオ,国内は北海道から沖縄まで全国各地の調査を行い,国内では圧倒的に記録の少なかったコウモリ類の分布記録の収集と研究者の裾野を広げる活動を行った.また,地元岐阜のツキノワグマやコウモリ,ネズミなどの哺乳類の調査や情報収集にも精力的に取り組んだ.これらの記録は,昭和の岐阜県下の哺乳類の生息状況や言い伝えなどを記録したもので,開発が進んだ現在の状況との違いを知る上でも大変貴重な記録といえる.

 1990年に,奈良教育大学に異動してからは,理科教育,保全生物学,自然環境教育に関する教育・研究に取り組んだ.自然教育の発展にも尽力し,小学校で新しく導入が決まった学習科目「生活科」に対し,環境教育あるいは自然教育のあり方についての研究,あるいは教員志望の学生への教育を進展させた.同時にコウモリ類に関する啓発活動を精力的に行い,メディア出演,講師や出張授業は現在まで続いている.同時に,一般向け,子供向けにコウモリを紹介する本を多く執筆された.また,国内で分類学的な混乱があったコウモリ類の分類の見直しや和名の検討,あるいは外部形態による識別方法の確立を進展させた.

 1992年には,コウモリ類の啓発活動を目的とした「コウモリの会」を設立し,2000年までの8年間会長を務めると同時に,コウモリ類を多くの人に知ってもらうためにコウモリフェスティバルを企画した.また,乗鞍高原一帯に棲息するクビワコウモリの保護を目的に,1995年にはクビワコウモリの会の設立に携わり,当時から現在まで顧問を務めている.コウモリ研究者の裾野を広げる活動や全国での捕獲調査は,多くの新知見につながった.

 沖縄島北部に位置する米軍基地内にて,新種であるヤンバルホオヒゲコウモリMyotis yanbarensisならびにリュウキュウテングコウモリMurina ryukyuanaを1996年に捕獲,1998年に新種として記載した.この成果は,それまでの前田氏の網羅的なコウモリの分布調査から,日本固有種のクロホオヒゲコウモリMyotis pruinosusが南方由来であること,琉球列島には他の南方由来の森林性コウモリが生息するはずであるという信念によって発見されたといっても過言ではない.

 1990年代後半より,西表島の大富地区における大規模農地開拓,徳之島ダムの建設,石垣島新空港建設計画など,大規模な環境改変を伴う工事によってコウモリ類の生息環境の大きな変化が予想される公共工事計画において,いかに工事の影響を最小限にし,コウモリの生息環境を維持するかといった,コウモリ類の保全にも力を尽くした.西表島の大富地区の大規模農地開発では,地区にある大富第一洞に生息する小コウモリ類3種の網羅的な生息数調査を行い,その上で,洞窟からの飛翔経路を種ごとに明らかにした.これによって,洞窟の周りから,餌場までの飛翔経路の森林が守られることとなり,工事より30年近く経った現在でも,当時に推測された個体数と変わらない個体群が洞窟内に維持されている.また,新石垣空港建設に際しては,予定地にコウモリが生息・繁殖する洞窟が確認されたことから,裁判がおこされるなど社会的な問題となった.これに対し,石垣島全体の洞窟における網羅的なコウモリ類の生息数調査や,予定地内の洞窟に生息するコウモリ類の生態を明らかにすることによって,工事の影響を最小限にとどめるための提言を行った.これによって,滑走路の位置を当初の計画よりずらすことや,工法や工事時期の検討が行われたほか,消失洞窟の代償として人工洞窟が設置され,現在では300個体を超えるコウモリ類に利用されている.これまでの前田氏らの継続的な事後調査によって空港建設が個体群へ与える影響が最小限にとどめられたことが確認されている.

 日本哺乳類学会においては,英文誌編集委員会委員,種名・標本管理専門委員会委員,レッドデータ検討委員会委員,評議員を歴任した.また,環境庁自然保護局野生生物課絶滅のおそれのある野生生物の選定・評価検討会哺乳類分科会検討委員,環境庁自然保護局野生生物課希少野生動植物種保存推進員,環境庁自然保護局生物多様性センター自然環境保全基礎調査検討会哺乳類分科会検討委員などでも活躍された.最近は奈良県や滋賀県等のレッドリストの制定等に関わる会議にも積極的に参加し,哺乳類の保全に向けての活動を続けている.

 以上のように前田氏は,長きにわたって地道な記載的・網羅的な研究を続け,哺乳類研究,特にコウモリ類に関わる研究の推進,教育,普及に活躍されてきました.選考委員会では,これらの業績や活動は,日本哺乳類学会特別賞の「長年にわたる研究活動を通じて,哺乳類学ならびに日本哺乳類学会の発展に寄与した本学会正会員」に相応しいことから,日本哺乳類学会特別賞を前田喜四雄氏に授与することにしました.

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