本論文は,地下生活者であるアズマモグラの出生地からの移動分散様式を明らかにするために,新規のマイクロサテライトマーカーを用いて集団の遺伝構造を解析し,本種の分散様式がオスバイアスである可能性を示した.多くの哺乳類がオスバイアスの分散をおこなうことは広く知られており,分散パターンや分散の機能についての理論は一見よく整理されている.しかし,ある動物種の分散様式を新たに特定の型として定義し,その機能について考察するためには,実際の子の分散の追跡,複数集団間で一貫した分散様式の確認あるいは分散が生じたときに個体が置かれていた社会的・生態的背景との関係性などを精査するなどのアプローチが必要となる.ところが,これらを同時に調べることは,サンプリングデザインや研究アプローチの組み合わせ上,非常に難しい.特に移動分散の事例を把握することが難しい夜行性の小型哺乳類では研究例が少なく,中でも地下生活を主とするモグラ類の分散には未解明な部分が多い.このような場合に有力なアプローチの1つが遺伝構造の解析となる.新たに作出した12種類のマイクロサテライトマーカーを用いており,血縁関係の推定も妥当であると思われること,十分な地理的距離のある3集団を対象とし,集団間で類似の傾向を見出したこと,オスとメスの分散のばらつきの指標を明示した上で,なおオスバイアスの分散が示唆されていること,さらにデータから導き出せる結果と考察をシンプルにまとめ,現時点での限界点についても明示されていることなどから,今後の研究の良い指針となると考えられる.特に,研究報告の少ないモグラ類の基本的な分散様式を明らかにした点が選考委員の評価につながった.以上の理由から,本論文を日本哺乳類学会論文賞候補として推薦する.